【内視鏡下逆行性膵胆管造影(ERCP)】

ついにERCPをやることになった。

口から内視鏡を十二指腸まで進め、乳頭からカテーテルを挿入し、膵管へドレナージチューブを挿入する。

どうか膵炎が起こりませんように。

 

手術ではないけれど、夫が病院にきてくれることになった。普段はあまり表面に出さないけど、心配くれているんだな。

今度こそ、治さなくては!頑張れ、膵臓くん!!

 

ERCP当日は朝から禁食。

内視鏡室へ呼ばれ、まず喉に麻酔。うつ伏せになって、ルートから麻酔を入れて処置の開始。

初めは喉を内視鏡が通るのが痛かったが、そのうち意識がなくなっていった。

1時間程で終了。

その後2時間くらいは麻酔でぼーっとしていたが、鳩尾付近に痛みがあったので、痛み止めを使った。

 

翌日からの食事は採血の結果次第と聞かされていた。

そんなに痛みは強くなかったので大丈夫だろうと思っていたが、やはりうまくいかない。

アミラーゼの値かかなり高くなってしまったらしく、しばらくは禁食となった。

 

 

 

母への感謝

入院中は家族にも友人にも支えてもらって、その存在のありがたみを感じている。

特に感謝しているのが母。実母、義母ともに。

 

入院中は義母が家に泊まりにきて、子供のお世話をしてくれている。

最初の入院は、育休中の夫とともに長女、長男の面倒を見てもらっていた(長女の幼稚園がない日は、私の実家で長女を預かっていた)。

その頃、長男はまだ一歳前で、寝かしつけはおんぶ、食事は離乳食、夕方はぐずることが多く、心身ともに大変だったと思う。

でも、退院後にお礼を言うと、育児は楽しくやらせてもらったから大丈夫よ、と言ってくれた。大きな母だと思った。私の尊敬する人。

 

退院後は、実母が泊まりにきて家事や育児を手伝ってくれた。ずっと気がかりだった長女のトイレトレーニングも手伝ってもらい、何とか夏休み中におむつを外すことができた。

徐々に体力が回復してきた一方で、痛みや食欲不振が時折あり、その度に母には心配をかけてしまった。膵炎対策の脂質を抑えた食事を作ってくれたり、本を買ってきてくれたりもした。再入院の直前は、私が精神的につらくて、泣き言ばかり母に言ってしまっていたと思う。

人一倍心配性な母だけど、私の気持ちを受け止めてくれて、とてもありがたかった。自分一人で抱え込んでいたら、鬱になっていたかも。

心配かけてごめんね、ありがとう。

 

現在、再入院中。

今は幼稚園のお弁当も始まって、義母には週4日、娘のお弁当を作ってもらっている。なのに、退院は焦らなくていいよ、と言ってくれる。

息子は実家で預かってくれていて、公園に連れて行ったり、息子の写真や動画を送ってくれたりしている。育児はみんなで協力すれば大丈夫よ、と。

 

私も2人の母のような、お母さんになりたい。

 

 

再入院14日目

入院から早くも14日。

入院時は血液と膵液が混ざったものが、膵臓から食道の方に向かって大きく溜まっていたが、

この2週間で順調にドレナージでき、ほとんど溜まりはなくなった。

食欲も元に戻って、我慢していたチョコレート菓子も食べている。

 

その一方で、手術で切除した膵尾部側からの膵液漏れがまだ続いているようで、一度下がった血液中のアミラーゼの値が再び上昇し、数日前から鳩尾辺りにたまに痛みが生じるようにもなっている。

この対処法として、内視鏡で膵管にチューブを挿入して、膵液の正常な流れを促す方法がある。ただ、リスクとして膵炎を起こす可能性があるため、慎重に判断する必要があるそうだ。

 

今回も一筋縄ではいかないなぁ〜。

 

 

再入院 膵液漏の再発?

退院から2ヶ月過ぎて、血液検査でアミラーゼ値意外にも異常があったため、MRIを撮ることに。

 

結果は、膵液漏の再発。

食道辺りまで膵液が大きく広がっていて、食事が取れなくなったのは溜まった膵液で食道が圧迫されていたのが原因のようだ。

てっきり慢性膵炎になったのかと思っていたので、すこし安堵。

この頃は毎日不調が続いていた。

鳩尾、背中、腹部全体の痛み、喉がつかえる感じ、肩の痛み、等々。

脂質制限しても痛みが変わらないのは、膵液漏だったからか。

 

ドレナージが必要とのことで、結果を聞いた翌日から入院となった。

 

入院してから、膵液漏は通常、再発するようなものではないというお話を聞いた。

前回の退院時に、もしかしたら治りきっていなかった可能性もあると。

本当に厄介なものですな。

退院後…

【退院~1か月】

〇日常

・退院日、帰宅して子どもと義母の顔を見たとき、思わず涙がこぼれた。

・1歳前の長男とは1ヶ月半会えなかったので、顔を合わせた時、困惑しているようで若干泣きべそをかかれる。。けれども、すぐに慣れてくれて一安心。抱っこはまだできなかったが、はじめの1週間で日に日に体力が戻るのを感じた。

・1ヶ月のうちに、少しなら抱っこが出来るようになった。

・食べられる食事の量が増えてきて、体重が1kg程増えた。

 

〇体調

・退院から3週間後くらい、強い痛みが数日続いたため検査。エコーでは特に異常はなく、後日の内視鏡検査でも異常なし。若干、食道裂孔(?)ヘルニアの様子あり、胃下垂との指摘。

・このとき、食事を飲み込むときや、げっぷがでるときに強い痛みあり。

・1か月間、血中アミラーゼの値は標準値を超えた状態が続いている。膵炎が起きているのではと言われる。

 

【~2ヶ月後】

〇体調

・強い痛みが週1回程度ある

・飲み込むときの痛みはなくなってきたが、今度は食事が食道でつまるようになる。

・一時、食事が通らなくなり、嘔吐(逆流)。検査で、確かに逆流する動きが認められたが、効果的な薬は無いため、食前に水分をとったり、深呼吸で正常な動きを促したりするよう気をつけることに。

・その後、食道のつまりは少し改善した。

・血液検査で、相変わらず血中アミラーゼが高数値。その他項目も異常あり。

〇気持ち

・ほぼ毎日痛みがあり、膵炎のことを調べれば調べるほど、ブルーになる。

 慢性膵炎になったら治らない。この先ずっと、食事制限して、痛みに耐えていかなければならないのだろうか。

・がんにならないために低悪性腫瘍を切除したはずなのに、慢性膵炎になったら発がん率が上がる。何のための手術だったのだろうか、と思わずにはいられない。こんなこと考えてもしかたがないのに。

・前向きになるためにピザを食べた。でも、膵臓には良くなかったみたいだな…。

退院までは長い道のり

 

3週間のうちに手術を3度した。

3度の手術が終った後も、2週間ほどはドレーンからの出血を繰り返し、その間は恐怖との戦いだった。

またお腹の中で大量出血しているのではないか、新たに動脈瘤ができているのではないか、

このまま家族を残して死んでしまうのではないか、、。

 

夜、眠れないときは、自分の選択は正しかったのか、など考えても仕方ないことばかり頭に浮かんできて、暗闇の中一人泣いていた。

 

ひとまず、睡眠薬がもらえることが分かり、それからは薬に頼ることにした。眠れるようになってからは気持ちも楽になった。

それでも気持ちが堪えられなくなったときは、看護師さんが優しく受け止めてくれた。

 

病室で迎えた誕生日には、先生や看護師さんたちがお祝いの言葉をかけてくれた。

もちろん夫も、ケーキを持って会いに来てくれた。

不思議なことに、誕生日の翌日からはピタッと出血が止まった。

 

結局、1週間を予定していた入院は、1ヶ月半までのびることとなった。

つらい入院であったことは間違いない。

その一方で、たくさんの人と関わり、助けてもらったこの経験は、自分の人生において大きな意味を持ったと思う。

 

たくさんの人に感謝しています。

特に先生、ありがとうございました。

 

 

【手術③血管塞栓】脾動脈瘤ができた・・・また手術、でも前向きに

緊急オペで開腹したので、咳をするとお腹が張り裂けそうなくらい痛かった。

けれども、最初の手術後よりは、熱が早めに下がり、怠さも少なかった。

結腸の一部を切除したが、その部位ならば特に影響はないとのこと。

 

ちょっと大変なことになったけど、今度こそ順調に回復してくれれば・・・!

しかし、そうはいかず、膵液漏の悪さは止まらなかった。

 

緊急オペ後も、ドレーンから断続的に出血がみられた。

ある朝、濃いめの血液が出ていたので念のため造影CTをとることに。私は膵液漏の怖さをまだ知らず、また検査するなんて先生も大袈裟な~とさえ思っていた。

 

検査結果待ちで、病室で横になっていると、主治医の先生が静かにいらして、脾動脈に瘤ができているとの説明を受けた。

破裂すると大変だから、ベッドから動かないようにと。そして、至急、血管をつめる手術をすると伝えられる。

 

このときが一番辛かった。一瞬、先生を信じられなくなった。

こんなことになるなら脾臓を残すんじゃなかった、とさえ思った。

(看護師さんに、そんな愚痴を言ってしまった気もする。。ごめんなさい。)

 

そんななか、

不幸中の幸い、とはこのことであろうか。

血管塞栓術をしてくださった放射線科の先生が、とても腕のいい先生であった。

通常ならば、動脈瘤のあるところで血管を塞いでしまうが、巧みな技で血液の通りを

残したまま、コイルで瘤をかためてくれた。

そのおかげで、脾臓を再び救うことができた。

 

放射線科の先生は、外科の先生がせっかく残してくれた脾臓をダメにしてしまうわけにはいかない、とおっしゃっていた。

それを聞いて、自分自身が一番、脾臓を大事にしなきゃいけないと気づかされた。

残すんじゃなかったなどと、二度と言ってはいけないと思った。

 

私一人の健康のために、たくさんの人が尽力してくれたことに心より感謝いたします。